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こんにちは,みえこの生真面目報告日記にようこそ.ここでは主に日々の活動報告や思ったことなど,載せていきます。ご批判感想は,掲示板かメールでおねがいします。



  2008年8月27日(水)
   この乖離を縮め、日常生活での自覚にまで持っていくことに入魂しよう!、

8ヶ月ぶりに書く。

6/1〜8/10まで、九州福岡県久留米の娘の家にいた。
3人目の孫が誕生し、娘の家族は10人になった。
そこに私が加わって、11人。
娘と孫たちとの生活プラス大家族の夕食作り、通勤している家族1人の弁当作り、毎日の大量の洗濯、広い家の掃除、
新聞やテレビを見るヒマもない、2ヶ月と10日間だった。

胸の中には、常に「日本と世界の平和」があった。
しかし、久留米での日常でのどんな場面においても、戦争と平和についての話題が上ることは無かった。

娘の連れ合いの両親と同居していたのだが、
父親は、元自衛官で、定年退職後は福岡県内で福祉系の大学の大型通学バスの運転手をしていて、
母親は、最近になって、さまざまなカルチャー教室に通うようになって、家にいないときが多くなっていた。
それは私がいる間も同じだった。
といっても、とても魅力ある女性で、気の会うところも多く、私との相似点も多かった。
だから、少々のトラブルはあっても2ヶ月以上も、ほぼ快適に同居生活ができたことは間違いのない事実である。

一つ、最も気にかかったことは、この親たちが、スピリチュアルなことにほとんど依存した生き方をしていることだった。

とくに母親は、現実や事実から目を逸らし、なんの根拠も保障もないスピリチュアル的な希望的観測の「将来必ず、経済的にも、精神的にも豊かな生活ができるようになる」を座右の銘にして、現在の経済的に追い詰められている生活は、そのための試練なのだ、どん底を味わったら、あとは上昇していくだけだと、勝手に解釈して、正当化していて、私には、直接話してはくれなかったが、職業としてスピリチュアルカウンセラーなるものを目指し、どこかに通ってまで、一番力をいれて勉強しているそうだ。

日常生活の中に世界の戦争や紛争、不安定な日本の政治の話題が上ることなく、無事に平穏に(幼子たちの命に別状の無い病気は、頻発するものの)、日々が過ぎていくことは、たしかに、この上なく平和で、幸せなことであるのだが・・・

日本は、すでに戦時下に突入している事実を自覚している人があまりにも少ないこの現実・・・


No.264


  2008年1月3日(木)
   ☆謹賀新年♪


親しい友人のお兄さんが昨年の暮れの12/30に急死され、今日3日の午前中はその葬儀に出席した。
午後は愛南町の成人式会場前で「9条を守ろうの署名」を宇和島のS・yさんと2人で行った。1時間で22人の署名を集めることが出来た。

今年の2月で餡子屋の仕事を辞め、3月には洋一の住む千葉県に転居の予定だ。
活動は本日の署名を最後にして、引越しの準備と片付けに突入します。 No.263


  2007年12月13日(木)
   私の中にもDVが!

 今朝、私は自分の中にも生殺与奪の権を振るうDV性を発見して、猛反省をした。
 昨晩、気持ちが塞ぐことがあり、習慣になっている布団の上でのストレッチで気分転換を図ろうとした。
 毎晩のように2匹のネコが私の布団の中で寝る。
 今朝は、私が少し動いた時にウォッピーは出て行った。
 パティーがまだ中にいることを知っていたのに、私の中の荒んだものが、ネコが入ったままの掛け布団を思い切り放り投げるように脇にめくったのだ。
 そしてそのままストレッチを始めた。チラっと「パティーは大丈夫かな?」と思ったが、確かめもせず、ストレッチを続けた。
座る姿勢のストレッチになった時、パティーが畳の上で何食わぬ顔で毛づくろいしていたので、「ネコってたいしたもんだな〜」と、一安心した。
 ストレッチが済み、階下へ行こうとした時、パティーがごろっとしていた姿勢から立とうとした。が、立てないで横にこけた。
ビックリして、直してやったが、また1足で横に倒れる。何回試みても横に倒れるのだ。1歩も歩けなくなってしまった。
 ああ、私はなんてことをしてしまったのだ。
 どこが具合悪くなったのだろうと抱き上げて手足をさすったが、どこも柔らかく、不思議なことにパティーは苦痛の声を全くあげず、私を見上げているのだ。
骨が折れたのではなさそうだった。それとも、折れていても痛みを感じないのか?
 まず、頭に浮かんだことは、「あとで医者に連れて行かないとならない。」ということだった。
 今朝は早朝の餡子配達予約が入っていたので、手早く塩入り生水をマグカップ2杯飲み、次に梅醤番茶を作った。これが私の朝食の全てだ。
 パティーが気になり、配達前に2階に見に行った。
 さっきと違う場所でもう1匹のウォッピーと寄添っていた。
「歩ける?」パティーを立たすとシッカリ立った。「歩いてみて!」じっと立ってるだけ!違う場所に立たしたら、数歩歩いたではないか!「ああ、よかった!」私は配達のためにに1階裏のドアを開けようとした時、自分の罪深さに弾かれて、声をあげて泣いた。パティーに謝った。ネコはバランス感覚が優れているとはいえ、気持ちよく眠っていたままの布団ごと、突然放り投げたのだから、バランスの取り様がなかったはずだ。それにパティーは13歳の高齢だ。
 その後、何回もパティーを抱いては泣いて謝った。
 なんのことはない。普段あれだけ批判していたDVを私も犯したのだ。
 自分より弱い生き物への暴力であった。
 明日からは、布団の中の2匹のネコに「おはよう♪」と声をかけ、布団を剥ぐ時もやさしく声をかけてやろうと思った。
 その後パティーはいつものように、元気に階段を上り下りしていたし、洗面所の洗面台に飛び乗り、パティー専用のカップから水も飲んでいた。

私は思った。軍隊で兵士が国や天皇や上官に生殺与奪されていたら、そのストレスの行き場は容易に弱い立場の人間に向くことを。
そして人を殺めてしまったら、一生その後遺症に苦しめられることや、その苦しみから逃れる為に、自死してしまう帰還兵が多いことも少しは理解できた。
 人が持ってはならないものの筆頭は「生殺与奪の権」ではないだろうか。


  No.262


  2007年10月24日(水)
   コシノ・ジュンコ衣装のミュージカルを観た

昨夜10/23(火)は、☆ピースキャンドルと歌声♪の仲間のY.Rさんから招待を受け、宇和島の南予文化会館でミュージカルを観て来た。音楽座ミュージカルの「とってもゴースト」という出し物。
 1ヶ月以上前に招待するって、チラシをいただいていたけれど、入場料も高いし、ミュージカルのストーリーも大人の童話とはいえ新鮮味が見出せなかったので、気乗りがせず完全に忘れていた。
 昨日の夕方3時ころ、彼女から電話があり、「チケットが3枚余っているから、岩崎さんと、あと2人誰か誘って行けない?」ということだった。
ピースキャンドルの仲間のS.YさんはOK,ほかに何人か電話したが、留守が多く、そうこうしているウチに、5時に出発しなければならない時間がせまっていた。
 どうも楽しめなかった。
 本当に見たいミュージカルならば、自分でチケットを買い、楽しみに楽しみにして行くものだと思った。
 舞台では、所狭しと群舞が繰り広げられていたが、観客席で2時間もじっとしているのが苦痛になってきた。
 私は、自分が演じ、歌い、踊るほうが好きだ。
 入場料を取ってみせるのではなく、下手でもいいから皆と一緒に演じ、歌い、踊る場を身近に沢山創っていきたい♪
 ピースキャンドルの仲間のS.Yさんとの行き帰りの車中での会話が一番楽しかった。お互いに持ち寄ったものを食べながらね。
 そうそう、行きがけに10/18に数え102歳になったT.Hさん宅にお祝いのコスモスの花束と、私が作った2色の羊羹とみかんを届けに寄った。まだ1人暮らしをしているT.Hさんは、ソウルメイトの1人だ。コスモスを花瓶に生けてから宇和島に向かった。 No.261


  2007年10月18日(木)
   今の日本に当てはまる警告の詩

マルティン=ニーメラー(神学者)の詩

ナチが共産主義者を襲ったとき,
自分はやや不安になった.
けれども結局自分は共産主義者ではなかったので
何もしなかった.
それからナチは社会主義者を攻撃した.
自分の不安はやや増大した.
けれども依然として自分は社会主義者ではなかった.
そこでやはり何もしなかった.
それから学校が,新聞が,ユダヤ教徒が,
というふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり,
そのたびに自分の不安は増したが,
なおも何事も行わなかった.
さてそれからナチは教会を攻撃した.
私は教会の人間であった.
そこで自分は何事かをした.
しかし,そのときにはすでに手遅れであった.

No.260



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