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チャリダーしらいしのレースレポート





 ■ 2007/11/11(日)
    ++ ツールド沖縄 後編   ..ロード

 

書き忘れてました。補給食。

・ うまい棒 コーンポタージュ味

しっかり食べましたよ〜だって背中ですごく主張するから。レース用のワンピースの背中ポケットは二つ。片側にアンパンと補給食のゴミを。もう一方にはBCAA顆粒とカーボショッツとうまい棒を入れてました。アンパンを食べようとしてもうまい棒が邪魔するんです。。。それで確か去年は結局ゴールまで運んだような(笑)今年は1回目のダムの登りが終わってから、辺戸岬の手前で食べてみました。

結論  コーンポタージュ味は失敗。甘すぎ。メンタイ味のほうが良かったなぁ。

ってなわけで、証拠写真がサイクリングタイムに載ってます(笑)
http://www.cyclingtime.com/modules/myalbum/photo.php?lid=68849

2回目のダムの登り。作戦では有力どころが前方でガッツリペースを上げて、自分は動かずに集団が小さくなるのを待つだけ。だけど、やっぱりここでも悪い虫が。しっかりと先頭でペースアップして自ら集団を小さくしにいってるじゃないですか・・・単独でペースを上げるけど誰もついてこないのでやっぱりマイペースに切り替え。

しばらくして集団が長くなりながら追いついてきて、西谷さんを筆頭にペースが上がりだす。これには着いていくのみ。ペースが落ちてきたら前に出る。そうすると気がついたら15人くらいの小集団に。そして山岳ポイントまで1キロのところで満を持して先頭でペースアップ。一気に15人の集団で逃げを決定付けるため。

ガッツリ下りきって残り50キロの看板を見てからの登りが今回のキーポイントだった。下りの最中にまだ15名ほどいたのを確認していたので、さすがにこの人数は多いなってことでペースを上げにかかる。このときに優勝した高岡さんは単独で数メートル先行していたが、ダムの登りで走りを見たときに苦しそうな表情だったので完全に放置。それに、ここから自分が動いたらさすがに誰も逃がすまいと追いかけてくるだろうから。

その思い通りここで6名の逃げが決まる。そしてローテーションをしながら単独で逃げ切れる自信があるところまで待つことに。だが、ローテーションが上手く回らない。武井さん、西谷さん、僕の3名は軽快に回すが、それ以外の3名がほぼ付き位置。なんとか加わるものの少し待たないと前に出てこない。特に1名がひどく、先頭交代でいきなりペースを上げる始末。

ここで西谷さんの怒りが爆発!西谷さんは積極的にペースを上げて揺さぶりをかけにきた。この選手は放っておいてもどうせ最後まで持たないな・・・と冷静に分析していたものの、さすがに西谷さんのアタックには反応せざるを得ない。

そして武井さんもそれに加わって、3名でのアタック合戦が始まった。残り距離は45キロ〜40キロ。初めの目的はこの選手を切るためだったのだが、徐々に3名のガチンコ勝負へ。切ることよりも、あわよくば逃げてしまおうというアタック。誰かがかけたら他の2名が飛びついて・・・と繰り返していたが、思っていたほどキレも持続力もなくワンテンポ遅れるものの他の3名も付いてくる。

そうしているうちに高岡さんが登りで単独でスルスルと抜け出た。これには反応しない。もう自分の頭の中には、武井さんと西谷さんしかいないから。ここまでの走りを見ていても逃げ切れるとは思えないから放置。

高岡さんとの差も15秒前後。ようやく切りたかった選手が切れてくれて、追いかけようと思ったら・・・思ったように身体が動かない。マズイ、やりすぎた・・・おそらく武井さんと西谷さんもそう感じていただろう。ローテーションでもペースの上がらない追走組み。次第に差は広がっていき源河の入り口ではついに45秒。

「マズイですね・・・逃げてる人誰ですか?」と西谷さんに聞く。

「高岡だ。彼は強いぞ〜」

「????確かに強いですね」

ここで自分はレース終了。付き位置で源河を超えて、高岡さんとの差は50秒。下りと最後の平地で少し踏んで、海岸線で皆さんに別れを告げる。この動かない身体で付き位置でゴールまで連れて行ってもらう事も考えたが、追走のローテーションの邪魔にもなってはいけないと思い、レースを降りた。そしてそのまま単独で5位でゴールへ。


今回のレース、反省点はいくつもある。でもツールド沖縄に参加して今年で5回目で一番楽しいレースだった。力と力のぶつかり合いだった。全力を尽くして負けてこんなに悔しいなんて。普通なら気持ちいいほどの力負けって表現になるのかもしれないけど、6人の逃げが決まった時点で自分が一番脚が残っていた感覚があったし、8割以上勝てると思った。このレース展開まで来ていながら勝てなかった自分が悔しい。無駄な動きもたくさんあったと思う。だけどそれでも勝てるだけの力が欲しい。

来年以降もツールド沖縄の市民200キロは今回みたいなサバイバルレースになると思います。2回目のダムの登りを20名以下の集団で越えて、そこからのアップダウンでガチンコ勝負。来年は勝ちたい!また行くぞ沖縄!

No.116




 ■ 2007/11/11(日)
    ++ ツールド沖縄 前編   ..ロード

 

市民200キロ 5位

サクッと書いちゃいましょう。

土曜の2時過ぎに沖縄到着。レンタカーを借りて会場へ付くと4時。受付済ませて買出しへ。そして晩御飯を食べに♪やっぱりゴーヤかな\(^O^)/夜は軽めにプレミアムモルツを2本。いつもよりもアルコール燃料少ないけど、朝が早いから仕方ないよね。

レース当日

5時起床。5時半出発で車で会場へ。車の中で軽く朝ごはん。パンを食パン換算で2枚ほど。レースは長いから走りながら取ればいいんです。スタートしてしばらくは集団だからいくらでも補給する時間はあるし。

スタートは最後尾に。最前列に行く必要もないし、どうせゴールに1番に帰ってきたらいいんだから。それに足りるだけの練習もしたし、機材も揃っている。勝つ自信50%って感じでした。

ちなみに今回の補給食
・ 小ぶりのアンパン4つ
・ グリコ BCAA顆粒 3袋
・ ボトルにグリコCCD2袋+カーボショッツ3袋溶かし
・ もう1本のボトルは水
・ 背中に予備でカーボショッツ2本

スタートしてやっぱり安定しない集団。序盤は声が沢山飛び交う。後ろにいる自分が悪いんですけどね〜まあ気にせず走る。今日の最大の課題は「いかに行きたい自分に我慢するか」なので、後ろのほうがいいんですよね。

先頭付近で何が起こっているのかもぜんぜん気にしないまま、ちゅらうみ水族館を過ぎ、ジャンジャン進んで国道の海岸線へ。主要メンバーが逃げていないかを確認。今回マークすべきは武井さん(フォルツァ)と西谷さん(オーベスト)。ダークホースで島田さん(オーベスト)ってところ。島田さんは確認できず。っていうかどの人が島田さんかわからないくらいオーベストが沢山。

海岸線で油断している隙に1度、西谷さん、武井さんを含む10名ほどの逃げができそうになった(実はそのときに既にさらに先に何名か逃げていたらしい)逃がしてはまずいので、先頭に出て引く。無事にドッキング。逃げられるときついので仕方ない。

1回目のダムの登り(70キロ過ぎ)の手前ではやっぱり集団内の位置取りが激しい。せめて前3分の1くらいで上り始めたかったので少し前から前方へ移動。そして登りへ。

恐ろしいくらいに身体が軽い。呼吸も楽チン。すみませ〜んといいながら前方へ。あっというまに先頭まで出ちゃいました。そして足見せのアタック(悪い癖ですな〜)。やっぱり誰も付いてこないのね。。。少し待って集団前方で登ることに。15名ほどの小集団ができかけていたけど、後ろは50メートルほど後ろで数珠繋ぎ。補給所を過ぎたときには先頭と4分30秒。ここで逃げがいたことを確認。そして下っていると大集団結成。

ここからは2回目のダムの登りを過ぎるまでは絶対に何もしないでおこうと心に決める。でもやっぱり動いてしまう。。。全然我慢できてないじゃない。覚えていた数箇所の少し長めの登りでせっせと前方でペースアップ。誰も付いてこないのわかりきっているのにやってしまう自分。

辺戸岬を過ぎて残り100キロ弱。海岸線に出てペースの上がらない集団。おおよそ100人弱か。棒状になっているもののペースは遅い。横から無理をしない程度にスルスルと抜け出てまた先頭を走ってみたり。あ〜頭悪い。

そしてようやく2回目のダムの登りが。。。

続きは明日!

No.115




 ■ 2007/6/3(日)
    ++ 富士見 完結編   ..マウンテン

 

いつも通りスタートは完璧に決めて先頭で登りに入っていく。オーバーペースなのはわかっているが全開で飛ばしていく。昨年、その展開で逃げ切っていることもあって、当然、優勝を狙う選手たちは逃がしてくれるはずがなかった。しかしそれも作戦通り。

小野寺選手(ケン)が積極的にペースをあげていくが、自分は2番手で蓋となって追いかけなかった。いつでも先を譲るべくゆったりとしたペースで走るが、後続は抜いてこない。今日は竹谷選手、オガ、そして3連勝中の辻浦選手(けいちゃん)をマークなので気にせず走る。

2周目に入るときには、20秒ほど前にケン、2位パックで竹谷さん、オガ、けいちゃん、山本和(カズ)?白石だった。フィードの前ですかさず脚見せアタック。反応してくるのは竹谷さんとけいちゃんのみ。しかしここで竹谷さんがペースをじわりと上げ始めて付いていくのが苦しくなる。

本来ならばここで付いていきたいのだが、竹谷さんのペースはもはや付いていけるだけのスピードではなかった。逃がしては終わりだという思いはあるが、苦しすぎる。我慢してけいちゃんからも遅れをとらないようにする。それにしても、登りが苦しい。特にインナーを使う2箇所。明らかに踏むだけで進んでいない。

3周目に入って、シングルトラックの登りでけいちゃんをパス。単独2位へ。竹谷さんとは30秒ほどの差が付いている。苦しい。今にも心が切れてしまいそうだ。

4周目も同じく苦しい展開。差は50秒に広がった。しかし後続はいなくなった。ということは、自分のペースは落ちていなくて、竹谷さんのペースが上がっているだけ。2位は狙えるな・・・いや、優勝しないと意味がない。4周目の後半からようやくスイッチが入った。だめもとでいいから、追いかけるぞ!

5周目の最後についに追いつく。1周で1分近くあった差を一気に詰めた。そしてさらにフィードゾーン手前でアタック。まだまだ自分はいけるぞという確認。

追いついてからは、落ち着いて竹谷さんの走りを観察。フルサスの利点をフルに活かして走る竹谷さん。正直、スピードの出る区間ではハードテールでは苦しいほど。左右への動きがあればいいけど、真っ直ぐだとバイクの暴れ具合が全然違う。それでも登りになるとこちらのほうが明らかに脚が回っている。上り返しにいたっては全然スピードののりがいい。

もう一度様子を見るために6周目の最後の短い登りでアタック。登り返しのスピードをいかしてアウターで上りきる。すると一気に10秒くらいの差が出来た。あきらかに竹谷さんは苦しそうだ!

それ以降の2周の記憶はほとんど無い。とにかくガムシャラに走り抜けた。ペースを崩さないようにそれまでの周と同じギヤ、同じケイデンスで走った。足が攣りそうだった。でも今日で終わり。勝って終わり。勝ちたい。勝ちたい!

勝ったと実感したのは最後のリフト下ののぼりだった。そして大勢が待つゴールへ。やり遂げた達成感と、それでもまだ信じきれない自分がいた。

表彰式では予定通り、引退宣言をした。終わったあとも、記者に本当に辞めるんですか?と何回も聞かれた。どうせ白黒ページの端っこに少ししか載らないのだから。。。今になっても問い合わせも何もないし。

自分が走っていなくてもレースは問題なく行われる。卑屈になっているわけでもなく、当たり前のこと。もし復活して、再びレースが出来るなら、できれば今と違うメンバーで走りたい。何年先になるかわからないけど、復活できるかわからないけど、復活してもこの位置で走るのを目標にするとは思えないけど、日本のレースがどうなっていくのか見届けたい。

ジャパンシリーズはしばらく休みますが、ロードレース、ローカルMTBレースは走ります。それのほうが楽しみだったりするのも事実だったりo(^-^)oまだまだ、楽しい自転車生活は続きそうです♪

最後になりましたが、「どうしてそんなに頑張れるんですか?」って思うひとが沢山いると思いますので、答えを書いておきます。

ドラゴンボールでいうと元気玉みたいなものです。HPを見てくれている方々、コースサイドで応援してくれる方々の力を少しずつもらって、自分の力にしています。たぶん誰もがそうなんです。応援されると嬉しくて頑張ってしまう。微笑んでしまうけど、そのぶん力もでる。苦しいときこそ笑顔を。好きで走ってるんだから苦しい顔していたらもったいないですよ〜

応援してくださった多くの方々、こんな形にはなりましたが、一区切りとさせていただきます。ありがとうございました。次、どこかで見かけても、今と変わらぬ声援を期待しております!

No.114




 ■ 2007/6/3(日)
    ++ 2007ジャパンシリーズ#4 富士見パノラマ   ..マウンテン

 

バイク:Panasonic チタン シライシスペシャル07モデル
タイヤ:Panaracer Razer XC 2.1 (2.5気圧、前後スタンズ仕様)
ヘルメット:MET 5-th Element
サングラス:Rudy Project Rydon(レーザークリアデグ)

これほどまでに優勝を狙って走ったレースがあっただろうか?心の底から勝ちたいと思ったし、「自分が勝つんだ」と他の人に口に出して言ったこともなかった。レース前に懇意にしている人には、今日で引退することを伝えていた。そして勝つことも。

「スポーツ選手は怪我と付き合っていくものだ」それは正解だと思う。選手であることを辞めた瞬間にただの人になってしまい、収入もなくなってしまうから。ただ、自分は違う。サラリーマンであり趣味でスポーツを楽しんでいる。だから無理に怪我と付き合わなくてもいい。趣味を嫌いになるなら、その前で退くべきだ。ましてやその怪我が自分が原因で起こったものでないならば尚更。

2006年12月25日の事故は自分から多くのものを奪い去った。2007年にかける高いモチベーションだけでなく、仕事や日常生活での覇気。自分が欲しかったものをようやく手に入れた末に起こった悲劇。車は所詮、機械であって交換ができる。修理に2ヶ月かかったけど、今は至って元気だ。でも身体は自己回復機能がある代わりに交換する事はできない。

いろんな思いがあったが、箱館山のレースの帰りにボクスターを運転しながら、1月後の富士見で区切りをつける決意をした。それくらい、開幕からの2戦に対してのフラストレーションがたまっていた。こんなレースをするくらいなら辞めてしまったほうがいい。

1月で身体を作りこんだ。走りこみなんてする時間はない。自分に許された時間は通勤の往復1時間ずつ合計2時間。今まで培ってきたノウハウを集中してこなす。2週間もすると身体に変化を感じ、仙台では試走のときにすでに好調を悟っていた。翌週の富士見のためにも、体力温存ではなく戦力隠しのために少し抑えて走ろうとスタートしたが、3位争いになってしまい、しかも今まで表彰台の経験もない若手選手だったこともあり、表彰台は簡単じゃないんだぞと言う意味も込めて、3位になりにいった。本来なら自分がこの役目をするのはおかしいのだが・・・

富士見の会場では出来る限りでリラックスを心がけた。最後だということで緊張するのを避けたかった。試走も1人で遅めの時間に1周だけ軽く走っただけ。当日もスタートが2時だから、早くスイッチが入ってしまうのを恐れて、1時間前まで準備はしなかった。今しかできない時間を贅沢に使った。

機材もだ。自転車は機材スポーツ。自分が許せる範囲で手間も金もかけていい。当然シマノでは推奨していないが、ハブのシールもグリスも抜いた。今回で終わりだから、レース中にトラブルさえ起こらなければいい。タイヤもスタンズを入れて最軽量にした。すべては勝つために。(注:シール、グリス抜きは個人の責任でお願いします。メーカーでは当然保障できません)

さすがに召集では緊張した。だけど、スタートラインに並んだときにはいつもの自分に戻っていた。今日が最後なんだから、楽しんで行こう!

No.113




 ■ 2007/6/5(火)
    ++ 第2章完結、そして第3章へ   ..マウンテン

 

前にも引退宣言をしたことがある。今から5年前の大学4年生のときだった。翌年から社会人になって、練習時間も思うように捻出できないだろうから、今年限りでレースは辞めようと思って覚悟を決めて走った。

だが、結局、社会人になってからも走り続けた。レースに出続けた。学生のときに積み立てていた練習量という貯金を崩しながら、下がっていく成績と格闘し続けた。学生のときよりも考えるようになった。何をどうすればいいのか・・・ガムシャラではなく、出来る限りの計画性をもって頑張った。

昨年、社会人4年目にして、念願のジャパンシリーズ優勝をした。かなり少ない可能性にかけて無謀にもスタートから飛び出したのが功を奏した。自分でも信じられない優勝だった。

昨年末、今まで頑張った自分へのご褒美に前々から欲しかったポルシェ・ボクスターを買った。ずっと探していた2003年式以降の黒のMTを見つけたときは、直ぐに店に連絡をしていた。店は千葉だった。実車を見に行くまでの1月、そして納車までの1月がすごく待ち遠しかった。来シーズンは過去最強になるつもりで、例年よりも早い10月からのトレーニングが始まっていた。

だが、納車されて10日でどん底に突き落とされた。信号待ちの停車中の追突事故。70キロで追突され、首に爆弾を抱えることになった。何をするにも手につかなくなった。この車のお陰で命が助かったんだから・・・と事故を正当化しようとしたが、車が修理から帰ってくる3月までは、軽いうつ状態だった。ストレスだけがたまる一方だった。

そしてシーズンイン。広島であったロードレースでもそれなりに展開に加わり、体力は思ったほど落ちていないことは実感した。だが、MTBのレースは違っていた。トレイルでは考えられないほどのスピードで長時間、緊張したままで走り続ける。日常生活ではほとんど問題ないし、トレイルで乗っているには問題ないのだが、レースを走ると首が痛くなる。

八幡浜、箱館山と走ったときに、ついにフラストレーションはピークを迎えた。この首の状態のままでレースを続けることで、生涯の趣味である大好きな自転車を嫌いになることほど馬鹿らしくつらい事はない。そして1月後の得意とする富士見での引退を決意した。

どうせなら大きな花を咲かせたい。優勝して表彰台の一番高いところで。

なにかを成し遂げるには犠牲にするものが必要なときがある。大きな覚悟が必要なときがある。レースでの緊張・興奮などの非日常を捨てることになる。この覚悟が自分を優勝へと導いた。

「辞めるのは簡単だ。だからもう少し続けてみよう」
今回ばかりは、この例には当てはまらないとおもう。もう少し続けたらきっともっと取り返しの付かないことになる。だから辞めます。首が治るまで。不安を抱えずに走れるようになるまで。

それまでの間は、ジャパンシリーズは走りません。それまでの間にしようと思うことがあります。前々から考えていたけど実行できないでいたこと。それをジャパンシリーズに行く時間と金と労力を使ってやっていきたいと思います。それは、後に発表したいと思います。

決して、今回の引退はマイナス方向でのものではありません。自分をさらに大きくさせてくれるための準備期間です。ただ、「社会人ライダーとしてどこまで日本の頂点に近づけるか」みたいなのを追求していたことに対しては引退です。第2章完結です。そして第3章の幕開けでもあるわけです。

シマノドリンキング 白石真悟

No.112



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