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藤井佑実子です!毎朝、フジテレビ「めざにゅ〜」で生ナレーションを読んでいます。日々の出来事を気ままにご紹介して行きます。どうぞ宜しくお願いします!





 ■ 2006年9月30日(土)
    ++ 何年ぶり?   

 

 先日、声楽の恩師のお供をさせて頂き、ローマ歌劇場日本公演「トスカ」(プッチーニ作曲)を観てきました。
 昔モーツァルトの「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」、ワーグナーの「マイスタージンガー」など観たことがあるけれど、あれは何年前だったかしら???

 「トスカ」は、1800年のローマが舞台。歌手トスカと画家カヴァラドッシは恋人同士。カヴァラドッシは脱獄してきた政治犯の友人アンジェロティをかくまったことから逆に捕らえられ、トスカは警視総監スカルピア男爵にカヴァラドッシの助命を求める。スカルピアはその代わりトスカに自分のものになれと身体を求めるが、トスカはカヴァラドッシ釈放の書類を手にしてからスカルピアに身を任せるふりをして「これがトスカの接吻よ」とナイフで殺害する。カヴァラドッシの銃殺刑は形式上のものとして空砲で行なわれるはずだったが,処刑は実際に行なわれてしまい、絶望したトスカはサンタンジェロ城から飛び降り,自ら命を絶つ・・・というお話。

 3幕あるのだけれど、幕間が30分もとってあり、何故、こんなに長いの?と思っていると、何やらカーテンの向こうでトンカントンカンと金槌の音が・・・。第2幕が開いた時、セットがガラッと変わっていて納得。セピアの教会から、色鮮やかなオレンジを基調としたスカルピアの書斎に移り、なんと美しい舞台なのだろうと、感心してしまいました。さすがイタリア歌劇!
 そして2幕目にはトスカのアリアがあるのだけれど、泣きそうになってしまいました。深い信仰心を持ち何も悪いことをしたわけではないのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか・・と悲しく歌うトスカ。ソプラノと言ってもどこかアルトの深い響がある今回のトスカ役ダニエラ・デッシー。情報によるとトスカ役は当初ダブルキャストで予定されていたのだが、デッシーの強い意志により、シングルキャストになったそうです。
 すごい!彼女のこの舞台に賭ける強い気持ちが伝わってきます。
 そして3幕はブルーグレーの夜明け前の処刑場。処刑は見せかけと信じていたトスカはカバラドッシが本当に銃殺されたと知るや、迫り来る兵士を背に迷わず城壁から飛び降ります。圧巻!
 先生の話によると、今回の舞台上の恋人同士は、なんとプライベートでも恋人同士だとのこと。リアルな愛が感じられるハズだ。

 幕間のカーテンコールも長めだったけど、終了後のカーテンコールの何と長かったことか!Bravo!、Brava!、Bravi!と何度も声が聞こえ、トスカ役、カバラドッシ役、スカルピア役の3人と指揮のジャンルイージ・ジェルメッティも何度もそれに応え、9時半終了予定が、10時近くになっていました。
 (ちなみにBravoは男性に、Bravaは女性に、Braviは男女複数に対しての賛辞です。)

 いや〜それにしても久しぶりに貴重なものを観させて貰いました。
今回の客層は、やはりシニアな富裕層が殆どで、本場歌劇場の日本公演は値段が高くて私のような庶民はなかなか観に行けないですからね(~_~;)
 いや〜、最高でした!\(~o~)/
 
 

 

 

No.22




 ■ 2006年7月18日(火)
    ++ 私は忘れない   

 

 先日、引退した中田英寿の特別番組を見た。
やはり、彼はスゴかった。

 私はサッカーの熱烈なファンでもサポーターでもない。
でも、98年のフランスワールドカップから日本代表の試合を見るようになり、ドイツワールドカップまでを見てきた。
 今大会までの4年間、漠然と感じていたのは、どうしてこんなにも日本代表が不甲斐ないのだろうか?ということだった。

 予選から親善試合。勿論いい試合をすることもあったけど、大抵「どうしてここでこうしないんだ?」という場面の多いこと。
後がなくなり、お尻に火がつくまで、彼らがいつもゆるゆるとした戦いを続けていることにすごく苛立ちを覚えた。
 冒頭に述べたように私は熱狂的なサッカーファンでも何でもない。
でもいつも、中田だけが一人で走って頑張っているようにしか思えなかったのだ。

 この番組を見て私は「やっぱり」と思った。
 中田については賛否両論ある。私の身近でも悪く言う人はいる。
けれど、彼ほどチームのことを考えていた人はいないと思う。
 
 現代の若者特有の、スマートにカッコよく、がむしゃらではなく、適当に。これは今の日本代表そのものだ。
 監督であるジーコは「自由」を重んじた。しかしそれは各自の責任を伴うものだ。でも誰一人そのことをわかっていなかったのだ。
 今の日本代表は確かに個人の技術は上がり、海外で活躍するメンバーも多くなった。でも、気持ちがそこで終わっている。 自分しかいないように思える。
4年の間、選手に対し怒ったことのなかったジーコが今大会の合宿で初めて怒った時も、選手はそれを重くは受け止めていなかった。
 勿論、なんとかしなければと感じた選手も中にはいたかも知れない。
しかし、勘違いのチームワークというものを打破することが出来たのは、中田しかいなかった。
 
 昔の日本代表は、海外で活躍する選手も少なく、世界の大きさとその壁を痛感しながら、がむしゃらにベストを尽くしていた。骨折してもホイッスルが鳴るまで戦ったゴン。 へとへとになりながらも走った城。
代表のどの選手もが、日本が這い上がって勝つために頑張っていた。
 そんな試合を全てピッチで経験し、自分の役目を果たす中田。

 彼は「人に厳しくするなら、自分にも厳しくないと」「身体が不調でといういい訳をするくらいなら最初からやんなきゃいい」と、自ら率先して過酷な練習をしてみせ、足首の怪我も誰にも言わずにワールドカップを戦い切った。言葉でそれを伝えることは簡単かもしれない。でもどれほの深さで分かってもらえるのか。中田は自分が行動することで皆に伝えたかったのだと思う。そして心の底から皆と同じ気持ちを共有したかったのではないか・・。
 うすうす感じていたチームメイトはいたかもしれない。
でも、少数派に賛同できない日本人の悪い癖が、邪魔をしたのかもしれない。

 中田はいつでもカッコよくスマートに振舞ってきたけれども、その裏で人一倍努力をして、ストイックなまでにプロとはこうあるべきというもの守ってきた。
ある意味、本当は不器用で真面目すぎる人間だったのかもしれない。
 
 この大会で引退を決意したのは、あくまでも自分がプロとしてあるべき姿を追求した末のことで、もしそれをWC前に発表していたら、ジダンのいるフランス代表のように日本代表も頑張れたのではないかという意見もあるが、恐らく中田は、有難い気持ちだけどそんな安易な気持ちを望んではおらず、真の日本代表の闘志、中田のいう「誇り」を望んでいたのだと思う。
 
 彼は本当のサムライだった。
次回の代表には本当のサムライ魂を見せてほしいものだ。

私は、中田英寿というプロサッカー選手がいたことを決して・・・・・・忘れない。
 

 

No.21




 ■ 2006年6月12日(月)
    ++ 先のこと?   

 

 今日、買い物に行こうと家を出ると、道路の30メートル先で買い物帰りのおばあさんが自前の手提げにレジ袋を2つ持って転んだ。
 私は駆け寄り「おばあちゃん大丈夫!?」と言って手を差し伸べたのだが、どうやらアスファルトの割れ目に躓いて転んだらしい。
「あいたた、もう私よく転んじゃうのよ」と言いながらすぐには立ち上がることができず、膝を少し撫でて、ようやく私が脇を抱えながら立ち上がった。「まあ、すいませんねぇ、あなた忙しいんでしょ?いいのよ行って」と言うのだが、なおさらほってはおけず、レジ袋や手提げを拾いおばあちゃんに持たせてあげた。メガネも飛んで、耳かけが少し開いてしまってかけられないので、ポケットにさしこみ、「おばあちゃん、お家どこ?」と聞くとそこの角を曲がったら2軒目だからすぐだから大丈夫」と言う。「送っていくよ」というとなぜか「いいのいいの、ここで」と頑なに言う。
 「ホントに大丈夫?」と言いながら不安で見ているとまた躓きそうになり、「やっぱり送ってってあげるよ」というと「いいの、いいの。2階から見てるから、ここでもう」と懇願するような目で私に言うのだ。
 誰がどこの2階から見ているというのだろう?一体誰に遠慮しているというのだろう?その心底はわからないが、しばらくおばあちゃんの後ろ姿を見ながら私は少し切なくなった。

 今朝、仕事から帰ってきて階段を登る時、少し膝がヘンだったこともあり、自分にもいつか訪れるであろう老いた時が、たまらなく不安に刈られてしまった。
 人に迷惑をかけずに生きていく・・・なんてことができるのか?誰かの手を借りずにはいられない時が必ずあるだろう。
 その時、一体誰が助けてくれるのだろう?
 助けてくれる人はいるのだろうか?

 私は老いた時一人なのか?それともパートナーに傍にいてもらえるのだろうか?
 そんなに先のことではないだろう。
 些細な出来事に、少し先のことを考えずにはいられない自分がいました。

No.20




 ■ 2006年5月8日(月)
    ++ やっば〜いっっ!(>_<) パート2   

 

 前回もやばいと思ったけど、今回はマジでやばいです!!

 期待の若手ADだったT君が4月末日でやめるというので、金曜日のOA後に有志でお別れ会をしました。
 しかし考えてみれば最初からその日はイケてなかったのかも・・・。
なぜならば、CXスタッフ御用達、24時間営業の某高級(?)イタリア料理店に行ったら、キッチンシステムがGW前の念入りなメンテナンス中ということで入れず、仕方なくちょっと遠出をして、これまた24時間営業という某中華系ファミに行ったらこれまた掃除中で入れず、相談の結果、コンビニで買出しをしてスタッフルームで飲もうということになりました(+_+)
 多分それが敗因?

 楽しく飲んでいたのは覚えているのだけど、途中からまったく記憶が無くなってしまったのーーー!(>_<)
 タクシーを降りた時、気持ち悪いと思って部屋に入るなり、トイレに駆け込んだのは覚えているのだけど、そこからまた記憶が・・・
 気がついたらあたりは薄暗く、一瞬それが朝なのか夜なのかわからず、慌てて時計をみたら19:00。
 夜かぁ〜と安心するも、よ〜く考えてみると、どうやって帰ってきたんだろう?タクシーに乗ったものの、運転手さんに家までの道を指示した覚えもない。しかも私、ちゃんと化粧落としてパジャマにきがえてるじゃん!?
 無意識のうちに・・・とはいえ、あたしって・・・。

 さらにびっくりしたのは次の月曜日。
みんなに「藤井さん、おもしろかったよ!」と言われ、聞いてみると、びっくり!どうやら私、Bさん(ちょっと毛が薄めの構成作家)の産毛のような髪の毛を激しく撫で回していたらしい・・・
 えっ?Bさんいたっけ?えっ?毛をむしる?何それ?記憶がな〜い!!ひょえ〜!!\(◎o◎)/!
  
 コレまで、帰り道をどういうルートで帰ったかは覚えてないことはあったけど、飲んでる最中の記憶をなくすのは初めて・・・(T_T)
 あたしってばなんて弱くなってしまったの!?
 てか、トシ??
 あ〜〜〜ショック!マジでやばいわ!あたしってば(ToT)

 

No.19




 ■ 2006年4月12日(水)
    ++ やっば〜い(>_<)   

 

 前回の日記から1ヶ月以上も経ってたっ!

いや〜、3月は何かと忙しくて貴重なお遊びナイトの金曜日が3回も仕事で潰れたり、その他の平日もちょこっと仕事したりと頑張りました。
(いや、ほんとはもっと働かなきゃいけないのかもしれないけど・・・)

でもこの3年近くの生活は以外にも身体を蝕んでいるんだなと感じた月間でした。
というのも、ある日OAが終わってタクシーで帰っていたら、澁谷を過ぎたあたりで運転手さんに「お客さん疲れてるんですね〜、イビキかいてましたよ」と言われ、私は震度5強の衝撃を感じてしまいました(ー_ー)!!
だって私はイビキなんてかかないと信じていたのに、かいているという事実!しかもそれを指摘したのは見知らぬタクシーの運転手!
 どれだけ乙女心が傷ついたか!(えっつ?私だってまだそれくらいの羞恥心はありますよぉ!?)
誰もわからないでしょうけど、その日はかなりのショックでどんよりと沈んでしまった藤井なのでした(T_T)
 
 

 
 
 

No.18



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